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趣味

意外と知らない神社の謎

2020/10/07

こんにちは、プログラミングチームの石原です。
突然ですが、皆さんは神社に行ったことがありますか?ほとんどの方は1年に1回は初詣などで神社へ行くのではないでしょうか。しかし神社について、あまり詳しくない方もいるのではないでしょうか?かく言う私も、参拝の作法(二礼二拝一礼)すら分からずに大きくなった口です。今日は鎌倉にある銭洗弁財天を例に、神社の謎や歴史について、その一端を見ようと思います。
※サムネイル画像の御朱印は今回とは別で昔に訪れた時のものです。

神社の入り口

銭洗弁財天に実際に行くと、入り口にこのように書かれた石碑があります。 「銭洗弁財天 宇賀福神社」。
あれ?そういえば、弁財天って仏教の神様の名前だから仏教のハズなのに、続けて宇賀福神社って書いてある。○○神社ってことは神道のはず。違う宗教のハズなのに、なんで同じに書いてあるんだろう?(謎その1
※謎は後で解説します。

入り口を進み、まずは手を洗って・・・と思ったら、コロナの影響で御手洗が使用禁止になっていた。こんなところにも影響が。

続けて本宮を参拝。お線香を焚いている・・・線香は基本的には仏事に使われるものだから、仏教なの?

神社の由緒書き(※下画像へのリンクあり)からすると、当時の鎌倉は災害が続いたため、源頼朝が世の救済を祈願したところ、宇賀福という名の神が夢に現れ「この地に湧き出る霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるだろう」と告げられ、その地に湧き水があったため宇賀福神を祀ったと言われている。
ふむふむ、だから宇賀福神社というのね。じゃ本宮の神様は当然あの神様だよね。せーのっ 宇賀・・・じゃなくて市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)ですと!おっと新たな人物ならぬ、神様が出てきた。 なんで今まで一度も名前が出てきてない神様が出てくるのさ
(謎その2) 。宇賀福神はどこよ?と探すと、奥宮という別の場所に祀られているそうな。

ちゃんと奥宮もお参り。む!奥宮には鏡が祀られている。この置き方(?)は、ご神体として祀られている感じだから、神道か??

ついにやってきました。銭洗弁財天の名前の通り、湧き水が出ていてお金を洗う場所。なんでも「この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくる」と信じられているそうな。一体どうして、そういう事になっているんでしょう?風が吹けば桶屋が儲かる的な話なんでしょうか?(疑問その3)

謎その1の解説
どうして名前が「銭洗弁財天 宇賀福神社」と書いてあるの?仏教と神道で違う宗教じゃないの?
弁財天は、確かに仏教の神様で、宇賀福神は神道の神様です(弁財天と宇賀福神って?という方には下記のTipsで、簡単に解説してます)。仏教と神道という違う宗教がどうして一緒になっているのか?というのは、歴史を紐解く必要がある。
神道というのは、日本固有の民族宗教で古代日本において自然発生的に生まれた自然信仰である。一方仏教は海外から5世紀頃から入ってきた宗教で、奈良時代には国の政策として広めたと言われている。その際に民衆に分かりやすく広めるために「神仏習合」つまり、神も仏も同じですよといって広めていったらしい。確かに、明日から全然違うものを拝みなさいと言われてもイマイチだけれど、名前はちょっと違うけど、同じものだよって言われたら取っつきやすい。そうして神も仏も同じと言われた時代がいつまで続くかというと・・・なんと江戸時代までの千年以上続いていたんだそうな(紆余曲折はあったみたいだけれど、大筋は)。そんなに長く一緒とされていたんじゃ、仏教と神道の違いなんて、一般人の私が分からなくともしょうがない。
千年以上も神仏習合とされていたから、銭洗弁財天でもあり、宇賀福神社でもある(弁財天=宇賀福神)ということを表している名前なんだ、と私は結論づけました。
※弁財天や宇賀福神について、もっとしりたい方はこちら

謎その2の解説
なぜ、いままで登場していなかった 市杵島姫命が本宮に祀られ、宇賀福神が別の場所に祀られていたのか?
これについては、明治時代の政策が原因とされる。どういうことかというと、明治まではその1で解説したように、神も仏も同じとされてやってきたのだが、明治政府は「神仏分離令」つまり、神と仏を分けなさいという政策をやります。さらに神社の祭神も、古来から祀られていたその土地の神様から、天皇家に繋がる神へ変更するということもやったのです。これは、それまで武士中心の世の中だったのを、天皇中心の国家にするために行われました。
そのせいで宇賀福神社は、それまで宇賀福神を祀っていたのにも関わらず、天皇系の神様ではないため、天皇系の神の市杵島姫命に変更されたという訳です。ちなみにどうして、市杵島姫なのか?というと、市杵島姫は弁財天と同一として考えられていたためです。

謎その3の解説
なぜ「湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくる」と言われているのか?
これは鎌倉の土地が大きく関わっていると考えられます。鎌倉はタタラ製鉄と深く関わりがあった土地です。その証拠としては、製鉄民が進行していた仏である虚空蔵菩薩が祀られている虚空蔵堂があること、稲村ヶ崎という地名(稲=鋳土「いな」)、七里ヶ浜は砂浜が黒っぽい(砂鉄による)上、もとは金洗沢という砂鉄選別の最終工程の場の名前がついていた事など(詳細は省きます)。
この製鉄の作業は、大雑把に説明すると、ザルで砂をすくって水で洗って砂鉄を選別し、鉄を作る。この「ザルで洗う」→「製鉄」→「富をもたらす」という流れがいつしか、「ザルで洗うと富をもたらす」というように変遷したと考えられます。
このような言い伝え(?)から、鎌倉がどんな土地だったのかという事まで見えてきて、面白いですね。

ということで、いかがでしたか?今回は、この辺で終わりますが、鎌倉はまだまだ謎がたくさん隠されています。頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたのか(一般的に言われている「三方が山に囲まれていて、守りやすい土地」という理由は、私は納得しかねてますし、調べると別の理由が見えてきます)、どうして頼朝のお墓はポツンと寂しい場所にあるのか(鶴岡八幡宮の近くに頼朝の墓があるのでぜひ行ってみて下さい)、なぜ段葛が作られたのか、など。私は理系で歴史の勉強は嫌いだったのですが、こういった視点から見てみると、当時のことや今に繋がることがわかり、面白いなぁと思います。皆さんも謎を探してみてはどうでしょうか。

Tips
○弁財天、宇賀福神についての解説
弁財天の由来はインドの神、サラスヴァティーである。サラスヴァティーは古代インドでは河の名前であったが、やがて五穀豊穣をもたらす農耕の女神となった。この神様が仏教に取り入れられ、仏教を通して日本に伝来した。
宇賀福神は、 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同一神とされており、この神様は穀物の神とされている。
弁財天も宇賀福神も同じ農耕の神とされているため、同一神として位置づけられた。昔の人は、ちゃんと由来まで考えて同一にしていたんですね。感心します。
○市杵島姫について( 市杵島姫、天皇系って何? )
ざっくり解説すると、日本神話(古事記、日本書紀など)において、日本を作った神様「イザナギ」「イザナミ」の末裔が天皇。市杵島姫は、イザナギ、イザナミの子の一人、スサノヲの子供(宗像三女神[むなかたさんじょしん]のうちの一人)とされる。

神社の由緒書き

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