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動物

いとしや老犬物語

突然ですが・・・

皆様は、犬派ですか?猫派ですか?

僕は断然犬派です。そして、柴犬にぞっこんです!

柴犬

あ・・・

申し遅れました。昨年の11月に入社した、デザイングループの西海と申します。以後、よろしくお願いします。

今回は、犬の話をメインに書かさせていただくので、猫派の人は、また別の機会に猫の素晴らしさを是非とも、書いていただきたいです。

なぜ、犬派なのかと言いますと・・・

犬は、沢山の愛情を人間に注いでくれるからです。

こんなエピソードがあります。

僕の学生時代の先輩は、幼少期、経済苦を理由に、それまで飼っていた犬を他県に捨ててしまったそうです。

それから2ヶ月後・・・

その犬は匂いを辿って、その先輩の家に帰ってきたそうです。捨てた恨みなど一切持たずに、尾を振りながら主人に飛びついたそうです。

この健気な愛情が、僕を犬派にする理由です。

さて、ここからが記事の本題なのですが、

皆様がよくデートの待ち合わせなんかで使う、渋谷駅のハチ公銅像前。

ハチ公像

犬なのに何で銅像なの?

と疑問を抱いた事はありませんか?

僕も、最近知ったのですが、どうやら飼い主を渋谷駅で待ち続けた事から有名になり、銅像になったという経緯があります。

どれくらい待ち続けたと思いますか?

1週間、1ヶ月、半年、1年?

いやいや、な・ん・と10年も待ち続けたみたいですよ。江畑社長!

これは、確かに忠犬、忠犬と呼ばれますよね。宮本取締役!

それではEBAの社員らしく、インターネットの情報を駆使して、自分なりに噛み砕いて、忠犬ハチ公についてカキカキしていきますね。

ハチの飼い主は、東大大学教授の上野英三郎さん(以下、上野)という方であり、もちろん愛犬家!体の弱かったハチを自分のベッドの下に寝かせるなど細心の気遣いをして大いに可愛がり、大学や渋谷駅にいつも送り迎えをさせていたそうです。

しかしながら、ハチを飼い始めた翌年にあたる1925年に上野は急死(実際、飼い主と過ごした期間は、約1年だったみたいです)。この時、ハチは三日間何も食べる事ができなかったと言われています。

その後、ハチの飼い主は転々とするそうなのですが、上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中、渋谷に向かって逸走してしまう事もありました。最終的には、上野宅に出入りしていた植木職人に預けられます。

上野が死亡してから2年余りがたった1927年、この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになりました。渋谷駅を訪れる際には、旧上野邸に必ず立ち寄って、中を覗いていたと伝えられています。

渋谷駅前に現れ、故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供の悪戯の対象となっていきました。

hachi_3

渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、日本犬保存会会長の斎藤弘吉さん(以下、斎藤)という方は1932年、ハチの事を新聞に寄稿。これは、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打ちました。

これを機に、一躍有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれられ、そのあまりの人気からハチは映画の出演さえしてしまいます。銅像を作りたいという声も多くあり、人々の募金により、現在でも有名なハチ公銅像が完成したのです。

ハチを世に知らしめた斎藤は、後年、この様に語っています。

「死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチを、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかもしれません。しかしながら、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩に報いるなどという気持ちは少しもなかったのではないでしょうか?」

「あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうした生き物だからです。渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない主人に会いたかったのではないかと思います。」

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いかがでしたでしょうか?

割と重めな記事になってしまい、宮本さん、申し訳ありません。

EBAの営業の皆様、面談などでハチ公銅像前で待ち合わせをする際は、ハチの物語に思いを馳せてもらえたら幸いです。

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