献血に行ったら骨髄ドナーとなった話
2026/09/04
お疲れ様です。
2025年11月入社、プログラミンググループの久保宗平です。
実は、入社した当時から「いつか書きたい」と思っていたネタがありました。
それが、今回お話しする骨髄ドナーの体験談です。
執筆担当になるのを、ひそかに楽しみにしていました(笑)
突然ですが、皆さんは「骨髄バンク」をご存じでしょうか?
私は、趣味で献血に通っていたことをきっかけに骨髄バンクを知り、登録しました。
そして、登録から約2年後――。
まさか本当に「ドナー候補です」と連絡が来ることになるとは、登録した当時は夢にも思っていませんでした。
今回は、そんな私が実際に骨髄ドナーとして経験したことを、登録から退院、その後まで順を追って紹介します。
1. 登録
私が骨髄バンクを知ったのは、献血に行ったときでした。
献血ルームで骨髄バンクの方から声をかけられ、初めてその存在を知りました。
骨髄バンクとは、白血病などの病気で造血幹細胞の移植が必要な患者と、造血幹細胞を提供してくれるドナーの橋渡しを行う公的事業です。
この移植は患者とドナーの白血球の型(HLA型)が合っている必要があり、その確率は血縁関係のない他人同士だと1%にも届きません。
1人でも多くの患者に適したドナーを見つけるために、骨髄バンクがあります。
……と、ここまで説明すると、なんだかとても真面目な話に聞こえますね。
ですが、当時の私はというと、
「人のためになれそうだし、登録してみるか」
くらいの軽い気持ちでした。
その場で登録し、その後はすっかり忘れていました。
2. 候補
ドナー登録してから2年程経った頃。
すでに自分が骨髄バンクに登録していたことすら忘れていた私のもとに、オレンジ色の少し厚めの封筒が届きました。
差出人は骨髄バンク。
「……なんだこれ?」
開けてみると、私がドナー候補となったことを知らせる書類が入っていました。
ここで、皆さんは「人のためになれる!」と感動する場面を想像するかもしれません。
ところが、当時の私が強く思ったのは、
「入院生活ってどんなの?」
でした。
人の命に関わる話なのに、最初に出てきたのが好奇心。
今思い返すと、我ながら少し不謹慎だったかもしれません。
とはいえ、話を進めるには家族の同意が必要です。
届いた当日に両親へ説明し、同意を得ました。
そして、骨髄バンクに提供可能の意思を返信しました。
それから数日して、骨髄バンクのコーディネーターから連絡をもらい、今後の流れを聞きました。
この時点では、まだ「ドナー候補」です。
ドナーになるためには、まず確認検査と面談を受けて、問題なければ最終同意をします。
確認検査と面談では、健康状態や家族の同意の有無などを確認します。
そして、最終同意後にドナーを辞退すると患者の命に関わります。
私は都内の大学附属病院で確認検査を受けました。
しかしそこで、トラブルが起きました。
血液検査で、肝機能に関する数値がギリギリで基準を超える結果だったのです。
そのため、追加でエコー検査を受けることになりました。
不摂生な生活を自覚していた私は、
「とほほ……」
と反省しつつ、苦笑するしかありませんでした。
検査から数日して、コーディネーターから連絡があり、最終同意に進むことになりました。
最終同意は家族の同伴が必要なので、父と一緒に先ほどと同じ大学附属病院に行きました。
そこで、立会人のもと、医師から骨髄採取による移植であることや今後の流れ、リスクについて説明を受けました。
また、私の場合はアルコールの摂取についても制限が必要とのことでした。
せっかくの機会です。
私はその条件を受け入れ、最終同意書に署名しました。
そして、その日から断酒生活が始まりました。
3. 入院
最終同意してからしばらく経ち、入院する日程と病院が決まりました。
病院は都内の大きな病院で、確認検査を受けた病院と異なりました。
入院前に、その病院で済ませておくことが3つありました。
1つ目は健康診断。
2つ目は自己輸血用の採血。
3つ目は感染症の検査です。
この健康診断で、以前は基準値を超えていた肝機能の数値が、無事に基準内へ収まっていました。
少し安心しました。
健康診断を受けた日に、採血に向けた薬を処方され、自己輸血に必要分の採血を終える日まで服用しました。
採血については、普段から献血をしていたこともあり、かなり慣れていました。
あまりにも順調だったため、看護師さんに驚かれたほどです。
最後に感染症の検査を受けました。
これは、当時がコロナ禍だったために行われていたものです。
そうして、ついに入院する日を迎えました。
入院は3泊4日。
骨髄採取は2日目でした。
初日は昼前から入院して検査のみ受けました。
この時も不安より、初入院での体験によるワクワクが大きかったです。
そして迎えた、2日目。
いよいよ骨髄採取です。
私が受けたのは、全身麻酔をして、腰から腸骨という骨盤にある大きな骨へ針を刺し、骨髄を採取する方法でした。
採取は朝一番。
起床してから何も食べず、オペ室へ運ばれました。
私は運ぶためのベッドに仰向けで寝たまま、周りでは採取の準備が進みます。
そして、医師から「麻酔入れますね。10数えて下さい。」と言われました。
腕から冷たい何かが入って来て、視界がぼやけつつも10数え始めました。
「1、2、」
……次に気づいた時はもう採取が完了していました。
この「え、もう?」という衝撃は今でも覚えています。
その後、自分のベッドへ運ばれ、この日は絶対安静。
トイレに立つことすら禁止されていました。
まだ麻酔が残っていたのか私はそこから夜ご飯の時間までぐっすり寝ました。
針を刺した腰に少しずつ痛みが出てきました。
とはいえ、気になるほどの痛みではありません。
そのため、この日の夜もぐっすり眠りました。
3日目の朝、血液検査を受けました。
問題がないことが確認され、午前中のうちに絶対安静も解除されました。
ただし、当時はコロナ禍。
フロア間の移動は禁止されていました。
そこで、同じフロアにある掲示物を見て回ったり、窓から外の景色を眺めたりしながら時間をつぶしました。
そして4日目。
予定どおり退院することができました。
帰りは念のため父に迎えに来てもらい、車で自宅へ。
私の場合、退院した翌日から仕事にも復帰できました。
腰に多少の痛みは残っていましたが、それ以外は普段どおりの生活を送ることができました。
その痛みも、1週間ほどでなくなりました。
4. 後日
退院してから2週間後、術後の健康診断を受けました。
特に問題がないことが確認され、コーディネーターから公的支援金の存在と、その申請に必要な書類について説明を受けました。
ここで私のドナーとしてのコーディネートは終了となりました。
貴重な経験をさせてもらえたことに感謝しつつ、いつも通りの日常へと戻って行きました。
そして、退院から半年ほど経った頃。
今度は、私のもとに1本の筒が届きました。
差出人は骨髄バンク。
「骨髄ドナーの件に関する何かだろう」
と想像がついていたので、早速開けてみました。
感謝状でした。
しかも、厚生労働大臣からの感謝状です。
正直なところ、私は偶然HLA型が適合して、最初は好奇心もあってドナーになっただけです。
「感謝状をいただけるほど、そんなに高尚なことをしたわけではないんだけどな……」
というのが、率直な気持ちでした。
……とはいえ、少しは自慢したいという気持ちもあります。
ということで、この感謝状は今でも自分の部屋に飾ってあります。
おわりに
私自身、最初は骨髄バンクについて何も知りませんでした。
献血に行ったことをきっかけに、なんとなく登録して、2年後には本当にドナーになっていました。
自分でも、人生何がきっかけになるか分からないものだなと思います。
この記事を読んで、「骨髄バンクって、そういうものなんだ」と少しでも知ってもらえたなら、書いた甲斐がありました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。